家督相続の残響
夏休みに帰省されるという方も多いでしょう。
最近では核家族化が進行し、両親と顔を合わせるのも盆と正月くらい。
親との密なコミュニケーションの機会が確保できない方も多いと思います。
ましてや、兄弟も一緒に親と会うという機会はもっと少ないでしょう。
相続の相談をお受けしていると、こうしたコミュニケーション不足が相続に対する親子の考えのギャップを生み出していると感じる機会が少なくありません。
家督相続とは
かつて、昭和22年まで施行されていた旧民法(旧親族法、旧相続法)では、「家督相続」という制度がありました。
現在の高齢者の方々が生まれた頃まで「家督相続制度」があったことになります。
家督とは家族の代表者であり、戸籍にその筆頭者(戸主)として記載されます。
戸主(こしゅ)の死亡、あるいは隠居(生前に家督を譲る)したときには、家督相続によって多くの場合、多くの場合、長男が新たな戸主となりました。
現在は法定相続分が定められ、相続が発生した場合にはすべての子は平等に扱われます。
しかしながら、旧民法が廃止されて75年余りが経過した現在でも「跡取りは長男に」と考える家庭もあります。
相続人となる子も「自分は長男だから」という理由で、ほかの子よりも多くの財産を得る権利がある、と思っているケースもあります。
昔の戸籍では・・・
現在は結婚すると夫を戸主とする新しい戸籍を編成し、元の戸籍から除籍するのが通常です。
ひとつの戸籍に多くても5,6人という場合が多いのですが、昔は違いました。
仕事柄、古い戸籍を見る機会も多いですが、昭和初期以前の戸籍を見るとひとつの戸籍に20人も30人もの名前が記されていることもあります。
戸主、その妻、その子、さらにはその子の配偶者やその孫までもが記載されていたりします。
養子をとっているケースも少なくありません
旧民法では・・・
旧民法では、「戸主は其家族に対して扶養の義務を負ふ」と規定されていました。
家督相続により、戸主の地位を引き継いだものは前戸主の全財産を相続する代わりに、(戸籍に記載されている)一族全てを扶養する義務も併せて負ったのです。
「長男がより多くの財産を相続するべき」という権利ばかりが主張されるケースが多いのですが、家督相続の時代にあった「戸主はその一族を扶養する義務を負う」という部分が抜け落ちてしまっていることが多いように感じます。
コミュニケーションの機会を
家業があり、子の誰かがその後を継ぐ場合など、その子に対して多くの財産を継承しなければ家業が継続できないというケースもあるでしょう。
このような場合でも、現行民法下では「親の想い」「子の想い」についてしっかりコミュニケーションをとり、伝えておくこと、納得を得ることの重要性はより一層高まっていると思います。
1年に数回しか顔を合わせない、親や兄弟との間で「相続」の話を切り出すのはなかなか難しいのも理解できます。
しかし、必ずいつかは訪れるその時への備えは必要です。
親が高齢になってくると、「あと数回しか会えない」と感じることもあるでしょう。相続について話す機会はわずかです。
具体的な話にまで進まなくても、親がどう考えているのか、子としてはどう考えているのかという「想いのすり合わせ」を行う機会を作ろうとしなければ、その機会は来ません。