阪神淡路大震災から24年
阪神淡路大震災があった日、私は横浜の磯子と根岸の真ん中あたり、工場が建ち並ぶエリアで土木の作業所に事務員として勤務していました。
地震があったことは朝のニュースで知っていましたが、現場事務所でつONのままのTVから刻々と流れる続報で被害の全容が徐々に明らかになるにつれ、いろいろな感覚、感情が押し寄せてきました。心が悲鳴を上げているような感覚。
高速道路が横倒しになっていたり、街のあちこちで火が出ている様子を見ると現実の映像とは思えない、非現実的な光景に見えました。
私の母親は神戸出身であり、母方の親戚もいたことから安否も気になりました。建設会社に勤務していたことから。会社としての対応なども気になりました。
同じ現場には同い年の現場監督もおり、彼はその後すぐに関西方面へ災害対策・復旧要員として送られてきました。彼の話では実家につくまで平時であれば1時間もかからない距離を数時間かけて移動したと言っていました。
あれからもう24年も経つのかと思うと時間の経過の速さを感じます。
その後東日本大震災や中越地震、熊本地震、北海道胆振東部地震など大きな地震はありました。
それぞれに多くの被災者を生んだ地震であり、被災地では復旧・復興に向け頑張った方がたくさんいらっしゃいます。今も頑張っている方たちも少なくないでしょう。
大都市を大きく揺さぶった阪神淡路大震災では建物の倒壊、火災などで多くの命が失われ、都市部の直下型地震の怖さをいやというほど知ることになりました。。
いま24歳以下の人達はあの地震を知らない人達です。
また、阪神淡路大震災後は多くの人達が仕事の都合などで被災地を離れてしまったことから、現地でもあの地震を知らない人達が増えていると言います。
私自身は幸い、地震による直接の被害は受けずに生きてきていますが、あの時感じた恐怖、感覚、感情を忘れず、自分の子供たちにも語り継いでいこうと思います。
災害で命を落とされた方々にあらためて被災された方々に哀悼の意を表すとともに、復旧・復興に尽力されている方々に感謝いたします。