読む側と書く側の意識
普段から仕事や自分の好きなことなどを意識していると新聞や雑誌、テレビやラジオで引っかかるキーワードがあります。
僕は速読ができるわけではないし、本を読むのも結構時間がかかるほうですが、新聞や雑誌を全部隅々まで目を通していたらそれだけで何もできなくなってしまいます。
そんなときに読む側として大事なのは自分の興味、必要な情報は何か。関連する言葉や映像はどんなことなのかを意識しておくことです。
以前にお話を伺った人のたとえがすごくわかりやすかったのを憶えています。
電車に乗っているとき「赤いものを見つけよう」と思って流れる窓の外の景色を見ていると赤いものばかりが目に入ってくるようになる。
それと同じように自分の興味がはっきりしていれば、さっと眺めるだけで自分に必要な記事やニュースが耳や目に入りやすくなります。
一方、このやり方は注意も必要です。
特にインターネットでの情報収集の場合、記事を書く人にとっては読まれなければ意味がないので、いろいろな意味でかなりきわどい見出しを使うことが少なくありません。
スポーツ新聞も同じ効果を狙うことがあります。
駅売りのスポーツ新聞では「○○結婚」「△△逮捕」など、タイムリーに大衆受けしそうな見出しを書いて興味を引き、折り返した反対側に「秒読みか?」「の可能性」などと続いていて手に取ってすぐに「なーんだ」と思ってしまうこと、ありますよね。
インターネットニュースはどんどん新しい記事が世に排出され、記事がアップロードされてからほんの30分とか1時間くらいの間が記事の賞味期限。これ以上経つとより新しい記事がトップページを埋め、古い記事は消え、途端にアクセス数が落ちるからです。
こんな中でヒット数、ページビューを増やすためにはスポーツ新聞のように見出しは多少誇張されても、嘘でなければよいというレベルで作られるため、その中身をしっかり確認しないと本当の情報は得られません。
ところが、世の中にはその見出しだけでニュースを読んだような気になってしまう人がいる。自分の中にある断片的な情報と記事の見出しだけで勝手に自分なりに解釈してしまうことがあります。
情報の新鮮さはもちろん大事なのですが、これだけ多くの記事が氾濫しているネット社会では、情報の質をしっかり吟味し、本当に必要な情報かどうかを選別することがとても重要です。
自分は記事を書くとき見出しだけで誤認される可能性を意識しています。記事の中身を読んでいただきたいと思いますが、フェイクニュースにならないよう見出しと内容のかい離をなるべく小さくできるように心がけたいと思います。
僕はいろいろなところに書く記事で自分自身、あるいは会社の仕事の内容、得意なこと、あるいは僕自身の人となりをお伝えできればと思っています。信頼されなければできない仕事です。初対面でも「初めての気がしない」と思っていただけるくらいの情報発信をしていきたいと思っています。
そのためにも記事を読んでいただきたい。
一方で読んでいただくためには見出しが「キャッチーであること」「フックが利く」ことも必要。これがなかなか難しい。日々悩んでおります。
書いている内容が大衆受けする内容ではないことも十分理解しています。
でも、ひとりでも多くの方にその記事の内容が「他人ごとではない」「自分の場合はどうなんだろうか」と感じていただきたいと思っています。